※ゲート内で大暴れするゴルシ氏から全力逃走したことで有名なラブリーデイさん。ラブ以外今回の内容に全く関係ありません。
今回は色々な競走馬の恋愛事情について紹介します。
本題に入る前に知っておきたい基礎知識。
・馬っ気
馬っ気とは牡馬が牝馬に発情して5本脚になってしまうことを言います。 (厚さ1mのオブラートで包装済み)
・オグリキャップとホーリックス
・オグリキャップ ・ホーリックス
引用元:https://bit.ly/3hV7AvF 引用元:https://bit.ly/3fD8sBY
言わずと知れた昭和最後にして平成最初のスーパーアイドルホース、オグリキャップ君、岐阜のド田舎笠松競馬場からやってきた雑草馬が、中央のエリート馬をなぎ倒していく姿は大きな社会現象となり、第2次競馬ブームを巻き起こしました。そんなオグリ君ですが、彼にもひとめぼれした女の子がいます。その女の子はニュージーランドからやってきた華奢(競走馬基準)な女の子ホーリックスちゃん。
1989年ジャパンカップ(GⅠ)で2頭は出合いました。レース前に来日したホーリックスは、「怪物」とはいえ、中身は「岐阜のド田舎馬」オグリ君にとって初めてみる外国の女の子はとてつもない衝撃でした。オグリ君は一目ぼれしてしまいます。「でれえ可愛い子や~♡」
馬房ではいつもなら餌桶に一度顔を突っ込んだら完食するまで誰が来ても、どの馬が来ても絶対に顔を上げないオグリ君ですが、ホーリックスの足音が聞こえた途端、食事を辞め目の前を通るホーリックスをじっと見つめていたことは有名です。
そしてジャパンカップ当日、パドックでじーっとホーリックスを見つめていたことも話題となりました。
本番のレースでは、今までの芝2400m世界レコード2分22秒8を更新する、世界レコード2分22秒2で勝ったホーリックスを、ボーっと追いかけ同タイムで世界レコードを出してしまったオグリ君でした。(僅差で敗北)
しかし、オグリ君はホーリックスにフラれてしまいます。オグリ君側からホーリックス側へ2回種付け依頼をしましたが断られてしまいました。悲しい。
引用元:https://world.jra-van.jp/db/horse/H1000770/
・1989年ジャパンカップ
・JRA「THE WINNER ホーリックス」
・メジロマックイーンとイクノディクタス
・メジロマックイーン ・イクノディクタス
引用元:https://bit.ly/3vaQTjs 引用元:https://bit.ly/3fD7SEv
1990年代前半「皇帝」シンボリルドルフの息子トウカイテイオーと覇を競い合った、「ダービーより天皇賞!」をスローガンとする長距離の名門「メジロ軍団」の象徴、王者「葦毛の名優」メジロマックイーン、特に長距離戦の強さは圧倒的でした。長距離GⅠ、菊花賞、天皇賞春連覇はその凄さを物語っています。そのメジロマックイーンが一方的に惚れこんじゃったのがイクノディクタスです。「イクノディクタスと一緒のレースになると、普段賢くて大人しいマックイーンが興奮しちゃってめんどくさい」と競馬関係者の間では有名でした。
イクノディクタスは、GⅠ勝利はなりませんでしたが、ナイスネイチャ(41戦)、ステイゴールド(50戦)を上回る、驚異の51レースを大きな故障もなく駆け抜けた「無事是名馬」の象徴のような馬です。この頑丈な体は、過酷な仕事ぶりで有名なイギリス首相「鉄の女」サッチャーに例えられ、「鉄の女」との異名を持っています。レースでは何度も一緒に走っていますが、マックイーンには全く歯が立ちませんでした。
両馬引退後、「マックイーンの願いをかなえてあげよう」ということで、マックイーンとディクタスの種付けが企画されます。これはマックイーンの恋愛成就の為だけではなく、現役時代に安楽死寸前の骨折をするなど、怪我に泣かされ続けた脚元虚弱なマックイーンと、頑丈な体で有名なディクタスを組み合わせることで、虚弱体質の心配がないマックイーンの子供を作ろうという思惑もありました。
しかしいざ種付けとなった時、マックイーンはやる気満々でしたが、ディクタスの方には全くその気がなく、結局薬を使って無理やり種付けをすることになりました。生まれた子供キソジクイーンも全く活躍できず(11戦未勝利、賞金50万)引退しました。しかしマックイーンは念願のディクタスとの子供を作るという幸せを手に入れました。ただ両者の相性が悪かったわけではありません。ディクタスの甥っ子ステイゴールドとマックイーンの娘2頭から、ドリームジャーニー、オルフェーヴル、ゴールドシップという最強クラスのガラの悪い名馬達が生まれています。
アニメ「ウマ娘プリティーダービー」での両者のいい雰囲気は、このあたりのエピソードをもとにしています。
引用元:https://bit.ly/3vaQTjs https://bit.ly/2ShWgyR
・エアグルーヴとピルサドスキー
・エアグルーヴ ・ピルサドスキー
引用元:https://bit.ly/3v7yeVv 引用元:https://bit.ly/3f4kHsg
多くの牝馬たちが、牡馬の圧倒的なスタミナとパワーの前に敗れ去って行ったなか、ただ1頭、歴戦の牡馬相手にスタミナとパワーで真っ向勝負を挑み、見事にねじ伏せた「女帝」エアグルーヴ姐さん。そんなエアグルーヴ姐さんに一目ぼれしてしまった牡馬がいました。それは本場イギリスからやってきた紳士ピルサドスキー氏。
1997年ジャパンカップ(GⅠ)でのこと、パドックでエアグルーヴ姐さんを見た紳士ピルサドスキー氏は一目ぼれ、激しく興奮して「馬っ気」を出して5本足のお馬さんになってしまいました。
本番のジャパンカップでは、エアグルーヴ姐さんが、最後の直線で完璧なタイミングで完璧に抜け出し誰もが勝利を確信した瞬間、ゴール直前で5本足でエアグルーヴ姐さんをちらちら見ながら抜き去って行く紳士ピルサドスキー氏の姿が・・・
レース後、エアグルーヴ姐さんの騎手武豊が「あれだけ完璧なレースをしたのに差し切られた・・・」と絶句し、しばらく武豊のトラウマとなりました。
「ウマ娘プリティーダービー」でのエアグルーヴの「男嫌い」設定はこのジャパンカップの武豊のトラウマエピソードが元になっています。
・1997ジャパンカップ
・ウオッカとレッドディザイア
・ウオッカ ・レッドディザイア
引用元:https://bit.ly/3f4mJbS 引用元:https://bit.ly/3fFAcGu
なんと競走馬の世界では、2010年にはLGBT対応済みです。
牝馬として64年ぶりに日本ダービーを制すなど、「皇帝」シンボリルドルフと並ぶGⅠ7勝を挙げた「女傑」ウオッカ姐さん。ウオッカ姐さんがなぜ「女帝」ではないのか、それは「女帝」の地位に甘んじず、牡馬、海外のレースにも果敢に挑戦し続けたからです。その姿はまさに「女帝」ではなく、不屈のチャレンジャーであり「女傑」こそがふさわしいのです。
そんなウオッカ姐さんですが、その不屈のチャレンジャーっぷりから人間だけではなく、牡馬、牝馬からもモテモテでした。その代表ともいえるのが後輩牝馬レッドディザイアちゃんでした。レッドディザイアちゃんは「女帝」ブエナビスタと激闘を繰り広げた名馬です。
2010年ウオッカ姐さんのドバイワールドカップ(GⅠ)挑戦に同行したレッドディザイアちゃん。あまりにも颯爽としてキラキラしていたウオッカ姐さんにメロメロになってしまいます。「ウオッカお姉さま・・・♡」状態です。
結局ウオッカ姐さんは、ドバイで持病の鼻出血を再発させ引退してしまいます。ウオッカ姐さんと離れ離れになり、本当に気落ちして寂しがってしまったレッドディザイアちゃん。厩務員が馬房のレッドディザイアちゃんから見えるところにウオッカ姐さんのポスターを貼ることになったのです。
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/ウオッカ_(競走馬)
・スペシャルウィークとグラスワンダー
・スペシャルウィーク ・グラスワンダー
引用元:https://bit.ly/2T4EIq8 引用元:https://bit.ly/3bOvkxt
こちらはなんと1999年にLGBT対応です。
伝説の1997年デビュー世代、スペシャルウィーク、グラスワンダー、エルコンドルパサー、セイウンスカイ等数多くの名馬がいます。
スペシャルウィークは名手武豊に初めてダービージョッキーの名声をもたらしました。このレースでは、武豊がプレッシャーでレース中に鞭を落としてしまうというアクシデントがありながら、誰よりも先にゴールを駆け抜けました。また97年デビュー組とも激闘を繰り広げました。グラスワンダー、エルコンドルパサーに勝利することはできませんでしたが、エルコンドルパサーを破った世界最強馬モンジュ―を返り討ちにした、1999年ジャパンカップ(GⅠ)での「日本総大将」という呼び名が有名です。
グラスワンダーは、1997年デビュー以来朝日杯(GⅠ)含む4戦4勝と圧倒的な強さを見せつけました。この強さから「マルゼンスキーの再来」とも呼ばれました。この97年朝日杯までがグラスワンダーの全盛期という人もいます。朝日杯後に故障して一時戦列を離れます。復帰戦では同期で5戦5勝のエルコンドルパサーと伝説の毎日王冠(GⅡ)でサイレンススズカに挑みますが、影を踏むことすらできず敗れています。グラスワンダー、エルコンドルパサーとも外国産馬なため当時の規定でクラシック3冠、天皇賞(春、秋)には出走できません。そのためグランプリ(宝塚記念(GⅠ)、有馬記念(GⅠ))、ジャパンカップ(GⅠ)が主な大舞台となりました。グラスワンダーは特にグランプリで圧倒的な強さを見せ、宝塚記念1勝、有馬記念連覇という戦績を残しています。ただ食欲が旺盛なうえ太り易かったため、しょっちゅう豚とも呼ばれていました。その食欲は引退後、放牧中に昼寝しながらたんぽぽを食べている姿が確認されているほどです。
このグラスワンダー、実はスペシャルウィークに惚れていたという噂があります。それを決定的にしたのが引退後、2014年7月函館競馬場での15年ぶりの再会イベントです。スペシャルウィークはグラスワンダーを威嚇しますが、グラスワンダーは「馬っ気」を出して5本足のお馬さんになってしまっています。
この再会イベントとの様子と、宝塚記念の一騎打ちが、アニメ版「ウマ娘」1期のグラスワンダー「ヤンデレストーカーモード」の元ネタといえるでしょう。
この「ヤンデレストーカーモード」はグラスワンダー騎手の得意な戦法からきています。アニメ「ウマ娘」2期での「ライスシャワーに同じ物を感じる」というグラスワンダーの発言もここからきています。
グラスワンダーとライスシャワーの共通点、それは騎手が特定の1頭にターゲットを絞った時、もの凄い強さを発揮する、「マークの鬼」「関東の刺客」「鬼の的場」とも呼ばれ特に関西競馬ファンから恐れられた、「仕事人」名手的場均騎手のことです。そして被害者スペシャルウィーク、メジロマックイーンの騎手は共に武豊です。
この的場騎手、エルコンドルパサーの騎手でもあったため、しょっちゅうレースが重なるたびに「的場グラス、エルコン騎乗問題」が発生、毎回悩みぬいた結果、的場騎手はグラスワンダー、エルコンドルパサーは当時関東のリーディングジョッキー蛯名騎手へと変更になりました。
・1999年宝塚記念
・スペシャルウィーク、グラスワンダー再会
この他にも夫婦と呼ばれたダイタクヘリオス、ダイイチルビーがいますが、こちらはただレースかぶりが多く、着順が並ぶことが多かっただけで、ダイイチルビーには別にお気に入りの牡馬がいます。
色々競走馬の関係を調べてみると意外な発見があって面白いと思います。